発端

 鳶が大きな円を描きながら蒼穹を飛んでいる。初夏の昼下がりは曇るという事を知らないらしい。
僕の足元の地面もかさかさに乾いている。竹箒で掃くと、細かい埃が舞い上がった。
本当にいい天気だ。ひとつ大きく伸びをすると、「こら」と言う声で諌められた。
猫のように大きな瞳。艶のある黒髪は天然のゆるいパーマネントがかかり、腰の上辺りまで垂れている。
普通ならみすぼらしく見えるその髪は、纏っている上等の黒のワンピースと品のある顔の作りのせいで
無造作なのが逆に彼女の魅力を引き立てているみたいだ。
「こら」
彼女、この屋敷の令嬢 鬼頭月花(きとう げっか)はその細い両腕を腰に当て、
もう一度僕に対して声を発した。
「何さぼってるのよ、使用人」
険のある言い方だけど本気で怒っているわけじゃない事は、生まれたときから彼女を知っている僕やこの屋敷の人なら一目瞭然だ。
「やだな、あんまり天気がいいんで少し伸びをしただけだよ」
それよりも、と僕は
「月花お嬢さん、学校は?」
今日は水曜日、いつもならお嬢さんは夕方までここから歩いて30分程に位置する神凪(かんなぎ)学園で 授業を受けているはずだ。今日も朝方彼女を僕は送り届けたはずなのに・・・
「まさか、また?」
 嫌な予感がして尋ねると、彼女はこくん、と人形のような首を縦に振った。
「これでもう四人目よ・・・一体どうなってるって言うの」
 矢張りか・・・
 この村、神凪村は明治時代までは何もない寒村だったらしい。
それが大正時代に発見された石炭の炭鉱が人を呼び、神凪村はごく短期間で繁栄した。
けれどその繁栄は村に激しい貧富の格差を生み、たたき上げの炭鉱成金も生み出した。
そうした自称「良家」の息女が通うために村の規模から見るとおよそ似つかわしくない、広大な敷地を持つ
神凪学園が作られたのが約20年前。僕も何度も中に入ったことはあるけれど
(それは決して僕が其処に通っているという意味じゃ無く、月花お嬢さんの忘れ物やお弁当を
届けに行ったり、お見送りの際にという意味なんだけど)
学園はそれは大きな石造りの建物で、お嬢さんが前に見せてくれた遠いヨーロッパの建物に良く似ていた。
弧を描くアーチの門に石畳の廊下。お寺にあるような太い柱が何本も何本も、その廊下の両端に建っている。
なんだか空気までもこの村とはそぐわない。
 その神凪学園に通う生徒、それも女子ばかりがここ半年程の間に神隠しに逢うっていう事件が始まったのが
半年ほど前。その神隠しはおさまることなく、今も続いている。村人は皆妖怪の仕業だって専らの噂だ。
ただ、何故か・・・
神隠しに逢った少女たちは皆『戻ってきているのだ』。
神隠しに逢って一ヶ月ほど姿を消した少女たちは消えたときと同じように忽然とまたその姿を現わす。
その身体には傷ひとつついてなくて、着ていた服も消えたときと同じ制服だ。
彼女たちは何処へ消えたんだ?
少女達はその場所も理由も一切口にすることなく、一人思いつめたように一ヶ月ほど部屋に閉じ篭った後
---例外なく変死する。
そしてその場所が神凪学園の屋上なんだ。
この血生臭い事件に村中が粟立ってる。色んな噂が飛び交っていて、今僕が聞いて知ってる事も
何所まで本当かわかったもんじゃない。ただ確実なのは---
 この狭い村で少女が4人も神隠しに逢ったこと。そしてその全員が自殺している事。
この他にもこの村には奇怪な噂が蔓延してる。
山中に出る白い幽霊だとか、誰も居ないのに聴こえて来る聴いたことも無い音楽だとか。
炭鉱に出る妖怪だとか明滅する狐火だとか・・・。僕はまだそうしたものをこの目で見たことは無いけれど、
そういう存在が凄く苦手だ。夜も一人で寝るのが怖くて、育ての親の厳三爺ちゃんが夜なべの仕事で居ないと
つい一人きりの窮屈な使用人部屋の闇という闇が気になってしょうがない。
闇に目を凝らすと、見えても居ないものが見える気がする。感じるはずの無い気配を感じる気がする。
そうすると、本当にそれは居るんだと思うようになる。
----怖い。



物語の主な舞台

鬼頭家
主人公が下男として働いている神凪村の旧家。

神凪学園
鬼頭月花が通う学園。変死事件が相次いでいる。

アナグラ
獣人達の大半が住む村の西にある貧民層。

交番
村にただひとつの交番。駐在の長壁信助がいる。

炭坑
村に第一から第五まである炭坑。
炭坑がある山には山神様が住むと言う噂があり、女人禁制。

神社
年に一度「かなまらさま」と呼ばれる祭が行われる神社。
男根を御神体にしている。